初個展を終えて

November 3, 2014

 

生まれて初めての個展が終了した。

最後はなんともあっけなく、静かに終わった。

写真展以外もそうだと思うけど、展覧会ってこうして静かに、時間の流れの中で流れるままに終わるのが一般的なのだろうか。

そんなことをふと思いながら搬出作業を終えた。

 

今から約5〜6年前の作品を展示したから、私がまだ専門学生だった時の写真を、

今の私を知る人たちに見せたことになる。

新鮮だったのは、今の職場を通して知り合った人たちはみな、私がこんな写真を撮るイメージではないと思っていたらしい、ということだった。

考えれみれば一度も見せたことがない写真だったから当たり前なのだけれど、なんだかその意見が新鮮に感じた。

 

会期中はたくさんの方々に足を運んでいただき、人それぞれの感想を聞くことができた。

一つの作品を目の前にして、似たような意見やまったく違う意見、様々な言葉でいただくことができて、大変刺激になったし全てが自分の糧になっていくことが分かった。

個展を通して、「自分は意外と他人とこうして話をすることに抵抗はないのかもしれない」と感じることが出来た。

トークショーや来場者との会話を経て、写真について話す楽しさや知識の乏しさを知った。

自分の作品に自信を持ちつつ、まだまだ見る力がないなあと落胆したり。

 

とにかく、自分にとってとても価値ある時間を過ごすことが出来たように思う。

 

あとは、色んな人に言っているが、お金が作品に昇華されていく喜びは半端ないものだった。

だから、お金がなくなって生活に苦労することはしんどいと十分分かっているが、あまり気負うほどではなかった。

 

今度はひとまずグループ展。

またギリギリの状態で進行してしまっている。

計画性も、まだ自分の中には足りない。

意識の問題が先だろうか。

 

色々と課題はあるが、まずはお力添えをしてくださった全ての方々に感謝したいと思います。

 

みなさんのお力添えがなければ、個展を開催することはできませんでした。

本当に感謝致します。

ありがとうございます。

 

 

 

−−−

 

5年の歳月と祖母の死を通して

 

今から約5、6年ほど前の夏、高知の実家に帰省した数日間、祖母満子(みつこ)と、祖父修顕(しゅうけん)の写真を撮った。

母でも父でもない、祖父母を切り取ることが楽しくて仕方がなく、ファインダー越しに祖母を見て「こんなかわいいおばあちゃんになりたいなあ」なんてことを思った記憶がある。

対照的な外見の二人を見ていると微笑ましくもあったが、毎日同じような生活を送る様子はどこか胸を締め付ける哀しさがあり、当時二人の死についてもぼんやりと考えたりしたような気がする。

 

今回個展の機会を頂いてから改めて写真を眺めていると、そんな当時の祖父母や自分自身のことを懐かしく思う私がいた。

それはごくごく自然なことであるのかもしれないが、私にとっては写真の持つ記録性、写真として残す・残るということや記憶について考えるきっかけとなった。

 

上手く言葉にできないけれど、そんな当たり前のようなことを今更強く意識したのだった。

 

祖母の満子は、昨年この世を去ったが、実家に帰省してもただ家にいないだけのような気がしてならない。

それは、私が彼女の元気でいた時の姿を記録し、写真として残しているからなのかもしれない。そしてそれが、彼女が生きていたときの記憶を呼び起こす装置になっているからなのかもしれない。

 

 

 

 

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